幼い頃から器用貧乏
私は幼い頃から物覚えが良かったです。
幼稚園で日本地図を覚え、世界地図も覚え、世界の国旗まで覚えました。
小学生のときはミニバスケットボールをやっていて、運動もそこそこでき、勉強に困ったこともなかったです。
中学受験したほうが楽しそうだったので、親に頼んで塾に通わせてもらい、県内1の進学校に入学することができました。
12歳まで順風満帆だった私の人生。ただ、進学校に入学した頃に気づいたことがあります。
器用貧乏かもしれない。
県内1の進学校では、私より記憶力の良い人も多かったですし、もちろん私より運動が出来る人はたくさんいました。さらには、イケメンで愛想が良い人までいました。
自分より「できる」人たちに囲まれながら、自身はすべてが70点から80点という感じ。なにかが突出してできるというタイプではありませんでした。
大学受験も、第一志望は不合格、第二志望に進学しました。
特段、人生においての大失敗はなく、どれも無難にこなすタイプだったのを覚えています。そして、それを器用貧乏というんだろうなぁというのを自覚しながら生きていました。
大学に進学しても変わることのない器用貧乏
大学に入学して、これ以上器用貧乏になってはならない、とサークルと勉学に励みました。
しかし、サークルではジャズを演奏する団体に入っていたものの、最終的にはクラシックに流れてしまいました。音楽自体にはコミットできたけれど、あるレベルまで極めることはできませんでした。
勉学も、英語の論文を読み、厳しいことで有名な先生のゼミに入るも、大学院に進むほどの結果を残すことはできませんでした。
大学時代も、器用貧乏だったなぁと思っています。
就職して、1つ1つを完了できるように
器用貧乏だと気づいた進学校時代からの夢が、私にはありました。それは「病院の経営にかかわりながら、世の中をより良くすること」です。
この夢を抱きながら、新卒で東京の総合病院に、事務総合職として就職することができました。
上司や同僚に恵まれ、土日もこっそりオフィスに行くほど仕事が好きでした。新卒だったにもかかわらず、海外へ視察に行かせてもらったり、院内全体を巻き込む大きなプロジェクトを担当したり、とても楽しい日々でした。
2年目の終わり、大きなプロジェクトを終えた時、「あぁ、ベストを尽くしてやり抜くことができたなぁ。」と思えた瞬間がありました。
中学生のころからコンプレックスだった「器用貧乏」から脱せられた瞬間でもありました。
やり抜くことに必要な2つの要素
このやり抜けた成功体験を振り返ると、仕事で成功するために必要な要素と言われる「情熱」と「粘り強さ」がありました。
これはまさに、アンジェラ・リー・ダックワースが発表して有名になった「GRIT(やり抜く力)」と一致しています。
私が体験した「情熱」とはなんだったのでしょうか?
それは、心から本当に興味のあることに対して、全力投球できるフィールドがあることでした。
朝から晩まで、失敗しても成功してもバッターボックスに立ってバットを振り続けられる環境のおかげで、私は情熱を絶やさず継続することができました。
次に、大学時代まではなかった「粘り強さ」を就職してからどうやって身につけることができたのでしょうか?
それは上司や同僚のサポートがあってこそでした。周りを見渡せば、その人たちの成功は一朝一夕で手に入れたものでないことが明確で、長期の努力が必要であることが明らかでした。
また会社という仕組みのおかげで、どのくらいの努力をあとどれだけすれば、そのレベルにたどり着けるかもわかりやすかったです。
情熱を持続できる環境と上司や同僚の粘り強さのロールモデルのおかげで、私は「やり抜く」成功体験を得ることができました。
いくつになってもやり抜けない人たちも
この4月で、私も31歳になります。所属した会社のみならず、社外の方やパートナー企業の方、個人的な付き合いや自分の法人を通じて、多くの方と仕事をしてきました。
大多数が環境に恵まれ、やり抜く力がある方々でしたが、一方で何歳になってもやり抜けない方とも出会ってきました。
名刺がわりになる職種や業績がなく、おそらく年収や企業の知名度に注目して転職し続けている人たちです。
新卒のときは、「潰しのきくスキルを身につけるためにコンサルに」と言っていた知人。コンサルを辞めた後は評論家のような態度で仕事をし、文句ばかり言って職を転々としています。潰しが効きすぎて、会社の歯車にすらなれなかったのです。
同じ会社で頑張っていても、コンサルのような提案ばかり行う部署でクライアントの課題を短期間で切った張ったする「できる」人の中にも、やり抜けなくなる人がいます。
クライアントに対して短期的には結果を残せても、自社の課題を組織を巻き込みながら長期的に改善していくことについては逃げ腰になる人が多くいます。
また、勉強熱心で戦略立案もうまく、周りから賞賛されていても、実戦となると役に立たない人もいます。現実世界は複雑怪奇なので、実際に手を動かしてみないと深い理解は得られないのに、エッセンスだけを抜き出した大量のビジネス事例を知っているだけという人材もインターネットのおかげで大量発生しています。
このような、能力はあるのにやり抜けない人を見るといつもこう思います。
情熱を持てることを見つけられてないんだろうなぁと。興味があり、やってて楽しいと思えることであれば、失敗してもハードルが高くても、足を一歩一歩踏み出して前に進めるものです。
仕事を日銭を稼ぐためのものと捉えている人が、いつまでも「やり抜けない」ビジネスパーソンになっていると思います。
一度身につけた「やり抜く力」は応用可能
やり抜けない人もいる中で、一度やり抜くコツを掴んだ人たちは、どんな場所でもアウトプットを出せるようになります。
そんな私も、新卒の総合病院で手に入れた「やり抜く力」をもとに、次の挑戦に移りました。
ひとつは転職。ビッグデータ関連の仕事の求人の波に乗って、プロジェクトマネジメントのスキルを軸にIT企業に転職しました。
転職後も、情熱を持ってバットを振り、長い目で仕事にコミットすることで、最終的には億単位の価値を生み出すプロダクトのマネージャーを経験することができました。
さらに、IT企業で働きながら、インターネットの可能性をもっと自分で試してみようと思い、オンラインで大学院に通うことに。家族に支えられながら、2年半でイギリスのリヴァプール大学で公衆衛生修士を取得しました。
また、2年前には自身で一般社団法人を立ち上げることもできました。こちらはまだ、なにも結果を残せてないですが、週1の記事の更新をできるだけ欠かさず続けています。
転職先でも、オンライン大学院でも、自分の法人でも、器用貧乏になることなくやり抜けられているのは、新卒時代の成功体験のおかげです。
一度身につけた「やり抜く力」は、その後も発揮し続けることができます。
おわりに
3月で仕事が一区切りし、異動で新しい仕事をすることになりました。異動になるまでの4年半を振り返ると、そこには新卒時代に経験した「やり抜く」ことの成功体験が自分を支えていました。
いつどこで「やり抜く」経験をできるかわかりませんが、改めて大切だと思うことが2つあります。
ひとつは自分が情熱を持てる環境に身を置くことです。それはやっていることの内容でも一緒にいる人たちでも良いです。やっていることに興味を前のめりに持てる状況に身を置きましょう。
もうひとつは物事を長期でみて、辛抱することです。酷い状況を我慢しろ、と言っているわけではありません。結果が出るまでには時間がかかります。それまでトライ&エラーを粘り強く続けることを理解しておくことが大切です。その土台として、情熱を持てる環境に身を置くことはとても大切です。
もう、私は器用貧乏じゃないと、自分自身を認識しています。コミットすれば長い時間をかけてやり抜けます。やり抜けるようになるまで、支え見守ってくれた新卒時代の上司と同僚には本当に感謝をしています。
--筆者--
小迫 正実 (こさこ まさみ)
高校生で訪れたフィリピンのスラム街での体験から、人の命に関わる分野から経済を動かし、世界を変えたいというビジョンを抱く。
2012年慶應義塾大学卒業後、聖路加国際病院で医療の質を司るQIセンターの立ち上げに従事。分析業務から、データ×ITに課題解決の糸口を感じ2014年にヤフーに転職。広告データ事業に従事し、ITへの理解を深める。並行して、病院経営効率化のための一般社団法人Healthcare Opsを2017年に設立し活動。2018年には公衆衛生修士をリバプール大学のオンラインコースで取得。
(Editted by Junko Yabuki)
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