病院経営ウェブマガジン“Healthcare Compass (ヘルスケア・コンパス)”

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Healthcare Compass (ヘルスケアコンパス)

ダメ看護師の私が急性期病棟で出会った、奇跡の師長

私はダメ看である。

自他共に認める。

その名は、病院という建物をはるかに飛び越え、各地に病院が運営する訪問看護ステーションにまで轟いていたという。

臨床を離れて大学院に進学した今ですら、まったく病院とは関係のない初対面の人から「臨床苦手ってほんとですか?」と聞かれることがあるのだから、筋金入りである。

 

これはダメ看護師である私が、急性期病棟で奇跡の師長と出会ってから別れるまでのお話である。

  

師長の紹介に移る前に、簡単に私の自己紹介をしておこう。

私の名前は廣瀬直紀。

2016年に東京大学医学部健康総合科学科を卒業し、看護師になった。うちの大学の教育目的が看護師というよりは看護学の研究者を育成することだったこともあり、臨床は1年と10カ月で辞め、今は東京大学公共健康医学専攻というところでPublic Healthの勉強をしている。 

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奇跡の師長との出会い

舞台は、長野県の農村部にあるとある病院の急性期病棟である。

入職と共に地域ケアを担う部署に配属された私は、病棟を経験するために半年後にその急性期病棟へと異動になった(採用試験の面接において2年で退職するということは伝えており、その2年間で可能な限り多くを経験できるようにと、当時の看護部長がローテーションを組んでくれていたのである)。

 

師長の初対面の印象は「ちゃきちゃきの江戸っ子」。

聞いたところによると、師長になる前には現場のDMAT隊員として活躍しており、現場を離れた後は病院グループのDMAT全体の管理を担当していたというから、看護師としても管理者としてもそれはそれは実力のある方とのことである。

チャームポイントは笑った時のえくぼと、飲み会に着てくるバーバリーの服(あれはブルーレーベルでもブラックレーベルでもなく、ラクジュアリーなファーストラインのはずっ!)。

牧歌的な雰囲気ただよう農村部の病院であるから、バーバリーを着ている看護師なんてやたら目立つわけで、遠目からでも一瞬で「あ、うちの師長だ」と見つけることができた。さすがDMATというか、師長は普段から颯爽と歩いており、風になびくバーバリーのコートがやたらとかっこよかったことを覚えている。師長に憧れて、私もバーバリーのトレンチコートが欲しくなったのだが、ホームページで値段を確かめるとそっとパソコンを閉じた。

 

師長の奇跡その1 勉強会は必ず勤務扱いにする

看護師たるもの大量に勉強会への出席が求められる。

巷では、「師長に、『勉強会は自己研鑽だから勤務じゃありません!』とか言われたんだけど」というtweetも流れるが、うちの師長は勉強会は必ず勤務扱いにしてくれていた。「しっかり残業記録つけてけよー」と声をかけてくれるし、場合によっては勉強会に出席した分、別の日を半日出勤にしてくれたりもしてくれる。

おかげで職場でも「勉強会は全スタッフ強制参加」というような悪しき風習はなく、休日であれば勉強会を休んでも怖い先輩に怒られるなんて言うことはなかった。むしろ、「休みなのに来たの?!」と申し訳なさそうに思われるくらいである。

  

その2 院内看護研究、業務改善活動も勤務扱い

新人看護師たるもの院内看護研究をこなすことが求められる。

これも勉強会同様、「なんでやりたくもない看護研究を休日にやんなきゃならないの」と上司への呪詛がtweetでコソコソと囁かれているが、さすがうちの師長、これもすべて勤務扱いである。院内看護研究の担当になったスタッフの勤務表には、“研”と書かれたコマが月に1日か2日あり、この日は勤務として病院には来るものの、病棟に来る必要はなく、私はそのまま図書館で看護研究を進めていた。十分すぎるほどの時間を貰っていたのだが、それでもまだ“研”を付けようとしてくださるので、こちらから「いや師長、さすがにもう大丈夫っすよ、終わってますから大丈夫ですから!」と必死に止めたくらいであった。

もっと凄いのは業務改善活動であり、院内看護研究が1~2人であったのに対して、こちらは4~5人のチームで動いているため勤務扱いの休みを与えるのが大変になるはずなのだが、最低でも3人は業務改善活動のミーティングルームにスタッフが集まれるように勤務を調整してくれていた。急変や緊急入院があると「ごめん、ちょっと1人出てこれる?」とピッチが鳴るという仕組みである。しかし、スタッフ全員も師長の雰囲気づくりのおかげで「病棟業務じゃなくて業務改善活動をさせてあげなきゃ」という意識ができており、ある程度まで病棟業務が落ち着くと、「ごめんね、途中で来てくれて。いいからもう戻りな」と声をかけてくれるのである。こうして病棟全体の雰囲気まで作っていたところに、師長のリーダーとしての凄まじさを感じる。

 

その3 早朝出勤や残業し過ぎるスタッフには怒る

師長も、他の病棟スタッフもだらだらと仕事をして20時~21時まで残るなんていうことは決してなかった。入職して数週間目の新人の指導があったり、よほどの超緊急事態やインシデントレポートを書いているなんていう時は例外であったが、基本的には日勤スタッフは18時前後には退勤する。

これには理由があって、何よりもまず師長自身が17:30には颯爽と帰宅し、模範を示していたということが大きい。スタッフの人心が師長についていない段階でこれをやってしまうと、「みんな働いているのに一人だけ帰りやがって」とかえって恨まれることになると思うが、スタッフはみな師長のことを信頼しており、誰よりも病棟のことに気を配っていることは言わずもがな知っていたため、恨みがましく言うようなスタッフは一人もいなかった。

むしろ、師長が早く帰ることで「私たちも早く帰らなきゃ」と思っていたはずだ。そして、早朝出勤や残業し過ぎるスタッフには師長は「きっちり時間管理しな!」と注意していた。なので、日々17時には帰るぞという目標をもって働いており、3つあるペアチームのうち仕事が多くて帰宅が遅れそうなところがあると、互いが積極的に「やることある?薬セットしとくから」とフォローしあっていた。だからといって仕事が残っているチームのためにいつまでもダラダラ付き合って残っているという共倒れは起こらず、18時くらいになれば「あとやることある?」、「ううん、もう大丈夫だから先帰って」、「はいよー」と気持ちの良い会話が交わされるようになっていた。健全である。

 

その4 スタッフのミスには師長自身が矢面に立ち、スタッフを守る

奇跡の師長は、いつも私たちスタッフを守ってくれた。

問題が起きた時にはまず渦中にいる本人の話をしっかりと聞き、そこで部下自身に非がないと判断した時には、他部署の管理職に対して毅然とした態度で対応してくれていたようだ。スタッフが不安になることを防ぐために、翌日の朝のカンファレスでは「~というイベントが昨日あったが、本人に話を聞いて、これはこちらの否ではないと判断した。なので貴方たちが気にすることは一切ない」と私たちを鼓舞してくれたものである。

仮にそのスタッフに非があったとしても、絶対にスタッフ個人を攻めるようなことはしなかった。ダメ看護師であった私は、これでもかというほどのミスを起こしてきたのだが、頭ごなしに師長から怒られたようなことは一度もない。怒るのではなく、「どこに問題があったかな?」と問題を解決するという姿勢で向き合うというのが師長のスタンスであった。

また、師長の休暇時に予期せぬ急変や、大きなインシデントが起きた際には、必ず病棟に来て、事態に一緒に対応してくれるのであった。

 

その5 スタッフは休ませるけど、自分は休憩15分

早朝出勤、残業を悪しき文化として注意していたのと同じように、師長はお昼休憩もスタッフにしっかり取らせる。時計の針が12時15分を過ぎてくると、「こらぁー〇〇、早く休憩行きなさい!」とやんわり声をかけるのだ。

しかし、当の師長本人は休憩15分。師長が出勤している日は、8時~17時のあいだ、師長会議などの師長出席イベントを除けば、私は師長が病棟にいなかった瞬間というのを殆ど目にしたことがない。いったいいつご飯を食べているのだろうかとずっと不思議に思っていたのだが、12時過ぎになると歯を磨いてはいるので、どうやらどこかのタイミングで食事は摂っているらしい。

しかしその姿は一切見えず。何という胆力であろうか。スタッフもこうした師長の姿をずっと目にしていたので、みな心から師長を支持していたのである。

 

その6 長期休暇も取らせてくれる

現在私はWHO西太平洋事務所でインターンをしているのだが、病院に在職しているときから海外での活動に関心を持っていた。カンボジアの医療事情に関心があり、師長に長期休暇のお願いをしたところ、「夢のためだからな、行ってこい」と景気よく送り出してくれたのである。夏休み休暇ではあったものの、6日間の休暇を調整するなんて楽ではなかったであろうに、文句ひとつ言わず、「行ってこい!」と送り出してくれた。師長がこんな調子であるから、病棟の先輩方にも嫌味めいたことは一切言われず、「楽しんできなさい」と声をかけてもらうのである。

 

そして、忘れもしないあのイベント。

私の大学院受験である。

師長も私が遠くない未来に病院を辞め、大学院へ進学することは知っていた。

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だから大学院を受験することを伝えた時にも、「あいよ、頑張って」と笑顔で返事をくれたのだ。あれは8月だったと思う。受験当日だけ休みをもらえばいいやと思い、私はその日だけ休暇希望をつけたのだが、1週間後に配られたシフト表を見て驚いた。何と、受験日も含めて3日連続で休みになっているのである。「師長、これは?!」と師長のもとへ駆け寄って聞いてみると、にやりと笑って「サービス!」と師長。どの病院も看護師を確保するのに必死になっているこのご時世であるから、病棟から退職者が出るというのは決して上から良い顔をされることではない。それにも関わらず、師長は私の大学院受験を快く応援してくれたばかりか、こうして充分な休みまでくれるのである。退職する私は師長にとっては管理すべきスタッフではなくなる。だから、退職後の私のキャリアなどは本来なら気にかける必要のないことのはずだ。でも、師長は私を支えてくれた。自分の職責を超えて、私個人の未来を応援しようとしてくださった。この恩義は未来永劫忘れ得ぬ。

 

東大大学院に在籍していた学部時代の友人にお願いし、合格者の番号が掲示されたポスターを写メで送ってもらう。合格が分かった瞬間、私がまっさきに電話を掛けたのは師長である。親でも、恋人でもなかった。

 

奇跡の師長との別れ

大学院への進学が決まり、師長とも別れることが決まった。

退職する意思を告げた私に師長が言ったのはたった一言、「送り出す準備はできている」。

1月末という半端な時期での退職であったため、病棟には迷惑をかけてしまう形となってしまった。しかし師長は、恨み言など一言も言わなかった。これまでも常に励ましてくれてきたように。

 

奇跡のような人だった。

師長は地元の専門学校を卒業し、そのまま今の病院へ入職し、師長となった。大学院を出ているわけでもなければ、マネジメントや経営を専門的に学んだ経験があるわけでもない。

「どうしてこれほどまでに」と師長の類まれない手腕を垣間見るたびに驚嘆し、それほどの腕を身につけさせたものは何かと探ろうとしたものの、私には分からずじまいとなってしまった。

 

師長は私が退職した次の年に、同じ病院グループの別の病院へと異動となったのだが、そこでも手腕を轟かせているようで、私が先日お会いしたその病院の管理者である医師は「あの人マジで凄い」と目を見開いて師長の手腕を絶賛していた。既に退職していた私は、師長の部下でも何でもないのだが、「どんなもんだい、うちの師長は凄いだろ!」と心がわくわく弾むのである。

 

おそらく私は看護師として病院に戻ることはない。

そして、師長もあと1~2年で退職のはずだ。

だから、私が師長と働けることはもう二度とないだろう。

 

たった1年、一緒に働かせてもらえたのはたった1年だけだった。

しかし忘れ得ぬ、あの烈腕は。

リーダー斯くあるべし。

 

それが私の、奇跡の師長だ。

  

---筆者---
廣瀬 直紀
1990年生まれ。2016年に東京大学を卒業し、長野県佐久総合病院にて看護して勤務。その後、東京大学公共健康医学専攻に進学(Master of Public Health)。『未開拓な医療資源である看護の潜在可用性を引き出し、公衆衛生の課題を解決する』ことを目指して、医療データベース研究を学んでいる。2019年3月現在、WHO西太平洋事務所にてインターン中。

 

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