医師の超長時間労働の問題
2019年3月、医師の超長時間労働を国が認めようとする規制が成立しようとしています。
厚生労働省は13日、医師の働き方改革を議論する有識者検討会を開き、医師の残業時間の上限規制を最大で「年1860時間(月155時間相当)」とする報告書案を示した。
厚労省案では労災認定される「過労死ライン」(月80時間超)を踏まえ、一般医師は休日労働込みで残業時間の上限を年960時間までに規制する。そのうえで、地域医療を担う特定の病院の医師や技能向上が必要な研修医については「年1860時間」まで容認する。
(参照:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42358870S9A310C1EAF000/ )
この動きに対する医師たちの声をTwitterからピックアップしてみました。
古代ローマの奴隷制について調べてみました。奴隷の労働時間は日の出から夕方までの1日平均10時間、休日なしと仮定すると年間3,650時間くらい。それでは日本の医者は、年間の総労働時間2,085時間、プラス時間外労働が1,860時間のあわせて3,945時間!! 現代日本の奴隷制のほうが過酷という結論ですね。 pic.twitter.com/jbSXtPvCU9
— 室月淳 Jun Murotsuki (@junmurot) 2019年2月21日
昔は何だかんだ日本の医療に貢献したいという思いがあったけど、元々の当直の違法状態放置や医師会の「医師は労働者でない」発言に、この1、2年の間で専門医機構の不祥事、厚労省の医師残業2,000時間案、更には研修医まで残業1,900時間と来て、日本で医師を続ける気持ちが完全に折れてしまった。 https://t.co/YqS1OrBp8D
— sekkai (@sekkai) 2019年2月20日
医師の「奴隷自慢」は本当にやめるべき。
— 田舎の元外科医 (@inakashoge) 2019年3月16日
これが医療の持続性や、医療安全を毀損してきた。
今のシステムが将来も持続可能と考えているのならどうかしている。
個人の努力による部分最適化は全体最適化を妨げる。
心身の体調管理のために休むこともプロの仕事のうち。https://t.co/O9g2KpzLkQ
change.org上での署名活動の他、著名な医師によるヤフーニュースでの発信も行われています。
医師の働き方改革に関する検討会で、残業最大1860時間を容認する人たちとしては、「まずは進めることが大切」という方向で攻めていきたいようです。
今村聡・日本医師会副会長は、「急激な変化が起きて、医療現場に大きな混乱を生じるということは好ましいことではない。まずは少しずつ上限を設定して、特例をなくすスピードを現場の努力で早めていく努力をする必要はあるが、スタート時点は少し余裕を持った方がいい」と1860時間を容認する姿勢を示した。
(参照:https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/no1860toiutanani )
本当にこのままでいいのでしょうか?
中高の同級生で勤務医として働く友人も多く、私自身も新卒で急性期病院の事務職として働いていた身として、いてもたってもいられず、調べてみることにしました。
超長時間労働の本当の背景
なぜ医師の異常な長時間労働が容認されようとしているのか、改めて考えてみましょう。
議論をシンプルにするために「医師数が足りないから」という結論を述べている医師や政治家の方をちらほら見ました。
しかし、私は単に医師の数が足りないことが問題だとは考えていません。
そこには、「クリニックに医師が流れてしまう状況」と「医師の偏在」の問題の2つが隠れているからです。
クリニックに医師が流れてしまう状況
医師が診療行為をして働く場所は、大きく分けて2種類あります。
- クリニック(診療所)
- 病院
です。
今回、議論の焦点となっているのは、病院勤務医で、彼らが働くのは患者が入院できる「病院」と呼ばれる場所です。
(参照:https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000194394.pdf )
国は医学部の定員を増やす努力を行なってきました(上図)が、そもそも彼らの働く場所はどのように推移してきたのでしょうか?
実際にデータを見てみましょう。
(参照:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/16/dl/gaikyo.pdf )
病院の数が横ばいなのに対して、無床一般診療所はこの20年で20,000施設以上も伸びています。
病院と診療所を分ける場合、20床以下の医療施設は診療所に区分されます。つまり、20床以下の病床を持つ診療所はどんどん減って、入院施設を持たない診療所が大幅に増えていると言えるでしょう。
ひとつのクリニックをひとりの医師で運営しているとしても、20,000人近くが総合病院から離れているのがわかります。
医師の偏在
診療所への人材流出の問題に加えて、もうひとつ病院側に追い打ちをかける問題があります。それは医師の偏在です。
2018年に発表された厚生労働省医政局の「医師偏在対策について」によると、以下のことがわかっています。
- 全国47都道府県には、349の医療圏が存在します。
- 86%の医療圏では、医師数は増加(2008年と2014年の比較)
- しかし、“36 都道府県において医師数の較差(最大値/最小値)が拡大”
- つまり、“都道府県間の医師の偏在は拡大しており、依然として解消されていない。”という結論
地域の差ばかりでなく、診療科による差もあります。
医師の総数は増えているものの、労働時間が長いことで知られる小児科や産婦人科については、全体の増加率より下回った結果になっています。
(参照:https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000194394.pdf )
2016年の病院常勤勤務医の診療科別の週当たり勤務時間のデータのグラフです。
救急科、研修医、外科、産婦人科、小児科は、医師数の増加による恩恵を受けていないのです。
医師の長時間労働の背景をまとめると、
- 全体的に医師数は増えているものの、
- 都道府県間での医師の偏在は拡大しており
- 忙しいことで有名な診療科(救急、小児、産婦人科など)の医師不足も解消されていない。
では、なぜ偏在が起こるのでしょうか?
労働環境がほかと比べてよくないところに、お金が支払われないからではないでしょうか?なぜ、医療機関は賃金を多く支払って、人気がない地域や診療科に医師を呼ぶことができないのでしょうか?
それは、医師にとってインセンティブになりうる賃金を支払えるほど、医療機関の利益が高くないからです。
そもそも収益の低い病院業界
週刊東洋経済の2019年2/9号の「病院が消える」特集によると、
- 医療法人は、全体の約34%が赤字
- 自治体による病院は繰入金を含めなければ9割が赤字
また、病院の利益率は、一般的に1〜5%と言われています。(参照:https://www.medwatch.jp/?p=4657 )
診療報酬制度によって価格がコントロールされている中で、利益をなんとか出すことが医療機関の使命にもなっているため、医師にとってインセンティブになるほどの高賃金を支払える医療機関は限られます。
そして、都市部から離れるほど患者の数も減って売上も厳しくなるので、利益を出すのも大変になります。
なぜ収益が低いのか
厚生労働省は、病院の経営状況を把握しています。苦しいのは病院だけなのでしょうか。それとも一般診療所(クリニック)を含めたあらゆる医療機関が苦しいのでしょうか?
2017年の調査では、各医療機関の損益率は以下のとおりと発表されています。
- 一般病院:マイナス4.2%
- 一般診療所:13.8%
- 一般診療所(個人・無床):31.8%
(参照:https://hodanren.doc-net.or.jp/news/teigen/171129_danwa_jicho.pdf )
同じ診療報酬制度の中で医療を提供しているのに、これは差がありすぎるのではないでしょうか?
診療所は、国民医療費の中で20%の支出を占めています。(参照:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/16/dl/data.pdf )
診療所の中でも利益率の高い、個人で設立した診療所は診療所施設数の40%を占めています。(参照:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/16/dl/gaikyo.pdf )
つまり、
- 国民医療費の20%を占める診療所は利益が確保できているが、病院の利益はマイナス。
- 診療所の40%を占める個人の診療所は、利益率が30%以上。
今起きている問題を、病院の収益も絡めて図にしてみました。
医師の働き方改革が問われている状況なのに、診療所を優遇した現行の診療報酬体系で改革を推し進めること自体が無謀ではないでしょうか。
まとめ「診療所に有利な医療行為の診療報酬を下げるべき!」
- 厚生労働省は、医師の残業時間の上限規制を最大で「年1860時間(月155時間相当)」とする報告書案を示しました。
- 超長時間労働の原因を「医師数が足りないから」と結論づけた議論が散見されています。
- しかし、医師の超長時間労働の背景をまとめると、
- 全体的に医師数は増えているものの、
- 都道府県間での医師の偏在が拡大しており
- 忙しいことで有名な診療科(救急、小児、産婦人科など)の医師不足も解消されていない。
- 病院は収益が低すぎて(マイナス4.2%)、偏在を解消するために有効と思われるインセンティブ(優遇された賃金)を払えない。
- にもかかわらず、一般診療所の4割は平均31.8%の高い利益率を出している。
- 医師の働き方改革を推し進めるには、診療所が算定しやすい診療報酬を下げるべきです。
つまり、行なうべきは、診療所の利益を病院に回すことです。浮いた財源を病院に回し、医師の地域の偏在や診療科の偏在を解消するための加算として利用すべきです。
診療報酬は医療の根本的な財源です。現在は診療所に多く割かれているこの財源を、医師の偏在が起こってしまっている地域と診療科に優先的に配賦して、超長時間労働を強いられる医師を減らしていくことで、日本の医療水準を維持できるようにすべきです。
また、病院の経営状況を考え見ると、長時間労働の解決策を個別の病院での打ち手に求めるのは酷すぎるとも言えるでしょう。
--筆者--
小迫 正実 (こさこ まさみ)
高校生で訪れたフィリピンのスラム街での体験から、人の命に関わる分野から経済を動かし、世界を変えたいというビジョンを抱く。
2012年慶應義塾大学卒業後、聖路加国際病院で医療の質を司るQIセンターの立ち上げに従事。分析業務から、データ×ITに課題解決の糸口を感じ2014年にヤフーに転職。広告データ事業に従事し、ITへの理解を深める。並行して、病院経営効率化のための一般社団法人Healthcare Opsを2017年に設立し活動。2018年には公衆衛生修士をリバプール大学のオンラインコースで取得。
(Editted by Junko Yabuki)
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